第6回 大学時代のプレッシャー

2017/07/23

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これはそういう方針のコーチングでどこかの部活なりどこかのチームを強くしたりできないものですか?帝京大学の水泳部では僕たちの友達がコーチをしててそれに近い方針でやってるかなと思います。

対談記事公開スケジュール

7/18 第1回 ワールドゲームズ史上初2競技での代表選出
7/19 第2回 フィンスイミングと競泳の違い
7/20 第3回 技術の言語化
7/21 第4回 日本のスポーツ文化とマルチアスリート
7/22 第5回 指導のあり方
7/23 第6回 大学時代のプレッシャー
7/24 第7回 マルチアスリートは日本のスポーツ文化を変えていけるか


第5回は指導のあり方でした。常に選手と指導者は対等であって、共に創っていくという意識が必要なのだと思います。指導していくものが完璧でなければならないという意識が日本社会の課題のひとつなのかなと思います。だから選手ができないときに選手のせいにするために怒鳴るしかないのかなと感じました。
第6回では大学時代のプレッシャーと題して大学水泳界の特殊な事情をお伝えします。


川口
これはそういう方針のコーチングでどこかの部活なりどこかのチームを強くしたりできないものですか?

柿添
帝京大学の水泳部では僕たちの友達がコーチをしててそれに近い方針でやってるかなと思います。

平野
柿添さんの大学の後輩で、僕は柿添さん経由で知り合いになったんですけど。

柿添
僕が今いろいろとチャレンジしてるのをその後輩がみててくれていて。彼は競泳時代の僕のこともよく知ってるから、僕が大学時代よりも今泳ぐのが速くなってるっていうのが彼には衝撃的だったようで。
大学時代にあんなにたくさん泳いでいて伸びなかったのにいま伸びるってどういうことですかって。それで今日話しているようなトレーニング論を話したんです。結局俺らたくさん泳いでるだけだったよねっていう感覚は彼を含めて大学時代のメンバーでなんとなく共有されてるんです。それで彼も思い切って方針を変えることにしたみたいで。大学でも旧来通りのトレーニングをやらせてたけど、今は技術トレーニングの量をめちゃくちゃ増やしてまずはそれをこなすようにしてみると。身体を追い込みたければジムでパワーマックスでもなんでも漕げば良いと。そういう形で帝京大学の水泳部で今いろいろ試しているようです。
平野
ぼくも帝京大学の水泳部には練習に通っています。
川口
自分の練習のためですか?それともコーチとして?
平野
自分の練習のためですね。ただ、練習に行けば質問されることもあるし、レクチャーを求められればそれもやります。その場に行っていきなりそれについてレクチャーしてって言われるので、何の準備をしているわけでもないですけど、普段自分が実践していることを紹介したりはしています。

帝京大学の大いなる挑戦

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川口
ちなみに帝京大学の水泳部が方針を変えたのはいつからなのですか?

柿添
今年の年明けですね。まだ始まったばっかりです。たしか・・・去年の年末の飲み会のときに一大決心をしましたって言ってたはず。

川口
前から付き合いはあったわけですよね。なぜ今になって一大決心をしたのでしょうか?

柿添
僕はフィンスイミングではこの4年間ずっと日本代表でしたけど、競泳が速くなったのはこの一年半ぐらいなんですよね。フィンスイミングが速いっていってもあくまで別競技だから彼にはよく分かんなかったみたいです。だけど、競泳まで大学時代を上回るタイムが出たとなるとこれはちょっと話が違うなと彼なりに思ったんだと思います。彼を含めて大学のメンバーで飲んだ時に、今日みたいなことを一度話してみたんですよ。ぼくより競泳のレベルの高いみんなはどう思うかって。そしたらみんな結構共感してくれて。
平野
結局のところ大学時代って四年間っていう縛りがあるからチャレンジしたくてもできないっていう葛藤があるんですよね。泳ぎ方を変えると絶対にパフォーマンスが下がる瞬間っていうのがくるんです。それが怖くてできなかったっていうのがあるんですよね。自分なりに新しい泳ぎ方を試してみて合わなければ合わなかったで元に戻せば今までと同じ水準で泳げるっていう自信が当時はもてなかったんです。
柿添
チーム内で何番にならなきゃこの試合に出られないとか、そういう競争が盛んにあるので、部分最適化しちゃうんですよね。短期間でここまでに結果出さなきゃいけない、とかってなると、どうしても無難なことしかできない。コーチの側も選手が技術を変えて一回スピードが落ちるっていうのを受け入れない。「一回スピードが落ちてもいいから新しいことをためしてごらん」とはなかなかいえないんだと思います。

時間の制約とチーム内競争

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川口
ぼくは柿添くんが大学時代に競泳を辞める前後どんな感じだったかプライベートの付き合いがあったからよく覚えています。そういう思い詰めた感じが確かにありましたね。規定の競技会までにタイムを縮められなかったんでしたっけ? それで学内の選考会か何か落ちて、次第に練習行かなくなった。

柿添
そう、そういうときもありましたね。

川口
気付いたら辞めていましたね。

柿添
そう、競泳をやめる前後はそういう感じでした。一個技術を変えて、身体になじませてある程度スピードを伸ばすってなると半年ぐらいはかかる。技術を変えるのに二、三ヶ月、きついのを我慢してコンディションを上げてレースとなると半年。一つの大きな課題に取り組むためにはそれぐらいの時間が必要なんですけど、なかなかそういう時間の使い方ができないんですよ。

平野
レギュラーをとれるかぎりぎりのラインにいる人にはなかなか難しいんですよ。最初から飛び抜けて早くて素行が悪くなければレギュラー取れるとかっていう人、あるいは今のままだとどう頑張ってもレギュラーにはなれないっていう人、そういう両極端の人でないとチャレンジするのは難しいんです。

柿添
水泳って、少なくとも自分の知る限り、基本的に高校までは補欠っていうのがなくて全員一応大会出られるんですよね。標準記録さえ突破すればどんな大きな大会でも出ることができる。でも、大学になって初めて団体戦ってかたちになってインカレは1種目1大学3名までですと言われる。この三人の枠に入れないと大会に出られない。制限記録を切っているのに出られない。練習しても出たい大会に出られないっていうことを初めて経験をするんです。自己ベストは更新しているのに出られないということを。

平野
他の競技だと団体競技なら普通にレギュラー落ちがあるわけじゃないですか。でも水泳って個人競技なんですよ。その中でいきなり大学からはそんな団体戦のシステムが入ってきて戸惑ってしまうんです。

僕は幸いにもある程度大学の中ではレベルが高い部類にギリギリ入る学校でしたが一年目からレギュラーに入れるぐらいだったので、色々と試行錯誤をすることができました。でも、そうはいっても、時間は限られていて、泳ぎを変えるなんて大きなチャレンジはやっぱりできませんでした。大学を卒業して就職して、ふとコーチがなんか言っていたのを思い出し、時間もあるしちょっと試してみたらいきなり自己ベストがでちゃったんですよね。その時、一体自分は大学時代なにやっていたんだと虚しい気持ちになりました。

柿添
子どものときは難しいことを考えなくても身体が成長しちゃうので泳いでいれば速くなるんですよね。それをなかなか「単に身体が成長したから速くなっただけ」とは認識できないんです。人間は過去の成功体験にとらわれるから今までみたいにひたすらたくさん泳いでいればもっと速くなれると勘違いしちゃうんです。そこから別のアプローチでやってみようという発想にはなかなか至れないんです。

 
次回が最終回「マルチアスリートは日本のスポーツ文化を変えていけるか」です。この対談を通して、30歳を大きく越えた2人が競技でまだ成長できる過程を経て、若者たちに伝えたいこと、日本のスポーツ界の指導者に伝えたいことを最後まとめます。