第2回 「誰かのため」と「自分のため」

2020/06/02

【torch 園木】対談記事公開スケジュール

6/1 第1回  torch結成までと僕との出会い  
6/2 第2回 「誰かのため」と「自分のため」
6/3 第3回 幸福の広げ方
6/4 第4回 エンターテイメントとは
6/5 第5回 ライブハウスという場所
6/6 第6回 「〇〇くなって逃げない」

「誰かのため」と「自分のため」

ここでは、前回の園木君の「誰かのためではなく自分のために音楽を続ける」という流れを受け、「競技」や「音楽」について、
お互いがそれらを一体なんのために行なっているのか。そして実際にやっていく中でどのように変わっていったか。そんなことを話してみました。

柿添
「誰かのため」「自分のため」って話だけど、当然赤ちゃんのときは自分のことしか考えられないし、どこかで広がってそうなるわけだよね。自分は結構、自分のためにという期間が長かった方の人間で、みんなのためにというのは、フィンスイミングで日本代表になった直後から比較的そういう発言をしてました。
園木
あぁ、元々はそうだったんですね。
柿添
でもそれもそれで安っぽくなるような気がしていて。自分のためにやるけど、そこにみんなを巻き込みたいっていう考え方なんですよね。巻き込める人数をどれだけ増やせるかが勝負なのかなと。
園木
わかります。
柿添
例えばイチローさんや王さんとかは、ファンも大事だけど自分のためにやっていますっていうタイプ。僕も今はそうなんですよね。でもそれだけじゃつまらないから、競技への取り組み全体をストーリーとして見せた上で、練習のこととか、どういう目標でやっているかも巻き込むためにあえて公表してます。そういうのも含めてチャレンジするのが僕の競技に対する世界観なんです。
園木
なるほど。基本的には、自分は自分のためにやっていますとしか言えないですよね。地元のために…とか、ヒロイックに掲げてきましたけど、ある意味のぼせてたなって思う部分も今はあります。
柿添
うん。気持ちはよくわかる。
園木
ミュージシャンのことをまるで、すごく高尚な存在のように扱う風潮って今もありますよね。でも、実際はそんなことないじゃないですか。笑 それぞれに個人的な好みや方向性があって、そこにギフト(才能)が乗っかって、何ができるのか。ってところもあるし。
柿添
うんうん。
園木
のぼせてんなよ、とまでは思わないけど、「自分のため」を広げた先に「誰かのため」があるのなら、自分というアーティストが社会やそこに生きる人々と向き合うときに、音楽家はもうちょっと身近な存在じゃないといけないかな、と思うんです。
柿添
そうだね。僕は本当に、自分のことだけの幸せが中心にあって、そのすぐ外側に親とか妻とかが喜んでいることが自分の幸せと感じられるようになる。それを広げていく作業が自分自身の人としての成長だと思ってて。全く関係ない人の幸せをおめでとうと言えない訳じゃないんだけど実感としてはなかなか得られない。
園木
なるほど。それはそうかもしれません。
柿添
でも巻き込んでいく人が増えていくと、言えなかった人におめでとう、ありがとうが言えるようになる。どこまでの範囲が自分ごととして捉えられるか。巻き込める人数が増えてくると僕の幸福が増えるって思っている部分はあるんだよね。
園木
共感できる身近な人の輪が広がっていくっていうのはすごいことですよね。でも別の視点として、例えば今も中東で戦火にさらされている全くの他人を思って涙が出てしまう、みたいな部分も自分自身には実際にあって、僕はそういう気持ちも大事にしています。アーティストぶってるところかもしれないですけど。
柿添
なるほど。それはアーティストとして大事なところなのかもしれないね。
園木
そういう普遍的な幸福みたいなことも常々考えながら、まさに今回のタイアップですけど、自分の足で身近な輪をひとつひとつ大きくしていく動きが何より大事だと思っています。

改めて話してみると、ある時点で「他人でなく自分のため」というところに立ち返りながらも、それぞれが別々の発想で「その輪を大きくしていく」ことを考えていることがわかります。
次回に続きます。